「荒らしは放置」の有効範囲

『「荒らしは放置」的な考え方は、もはや妥当なスタンスではないのかも知れない』という記事を読みました。

「荒らしは放置」は2018年現在でも有効な手段です。「荒らし」に対してであれば。

上記のページでは、「主にPVやPVからの収益を目当てに、デマ・誤情報・明らかに妥当ではない極端な意見などをwebに公開しまくっている人」を「荒らし」と定義していますが、これ、「荒らしは放置」が前提としている「荒らし」とは少し異なります。

「荒らしは放置」は、「対話する気のない相手と対話をしても損するぞ」と言い換えられる、というのが僕の解釈です。

インターネット掲示板など、即相手の反応があるような場所において、長文のアスキーアートなどを連続で投稿したり、議論相手を罵倒したりするような人は、対話をしても反応があったことに喜び、さらに同種の行動を繰り返してしまいます。そういったことを避けよう、というのが「荒らしは放置」だと理解しています。

たとえば、Twitterでグロ画像を貼ったりする人に対して「荒らしは放置」は2018年現在でも有効でしょう。ここでの放置は、報告・ブロック・ミュートも含みます。対話しない、と明確にする行動なので。

ただ、同じTwitterでも、「デマ・誤情報」に基づいた誹謗・中傷を受けているのであれば、対処すべきです。

では、「デマ・誤情報・明らかに妥当ではない極端な意見を投稿しまくる人」についてはどう対処するとよいのでしょうか。

まず、「デマ・誤情報」については、正しい情報を発信します。ただし、相手で直接返信・反論はしません。「デマ・誤情報を投稿しまくる人」は、「荒らしは放置」の「荒らし」である、「対話する気のない相手」である可能性も高いんですよね。なので、「荒らしは放置」ということで、対話は避けます。ただし、「デマ・誤情報」は正しい情報によってただすべきです。

次に、「明らかに妥当でない極端な意見」。これは、放置します。だって、「明らかに」妥当ではないんでしょ。本当に「明らか」なら、誰も相手をしません。ただ、妥当でない極端な意見というのは、デマ・誤情報・情報不足・誤認識に基づいている場合があります。その場合は、やはり正しい情報を発信することによって、意見の前提となる情報をただします。そして、対話はやはり避けます。

というわけで、時代が変わって「荒らしは放置」の妥当性が損なわれたのではなく、「荒らし」という「対話を避けるべき人」がグロ画像や長文アスキーアートを連続投稿する人にとどまらず、デマや誤情報に基づいた議論らしきものをしている人にも広がっている、という認識です。前者は単なるスルーで、後者の複合型は正しい情報の発信をしつつ直接的にはスルーで対処したいです。